BandH Gallery

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必要かどうかはわからないが。。。

  2015/11/20  

フリーと言う働き方がまだまだ定着していない日本において、法人格でないと言うことで一緒に仕事が出来ない事が何度かあった。
もちろん、作家はフリーで不自由はした事はない。
日本の場合、物故作家を取り扱うには古美術商許可が必要になるが、プライマリーならそれも必要は無く、だったら個人事業主でも良さそうなのだが、まだ見ぬ未来に不都合があってはとんだ回り道になってしまう。

まぁ、色々考えて、法人格にしておいて不都合は無いだろう。
不都合があるとしたら、色々な手続き関係が複雑で面倒になると言うストレスか・・・・。

まぁ、心配しなくても、当分・・・・いや、最後まで、赤字申告だろう。
プライマリーだけで、箱を持って、それ以外の事業目的を持たない法人化されたギャラリーで、黒字のところって、どれだけあるのだろうか。

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とりあえず来年から

とりあえず来年から、ボチボチ展示を始めようかと思う。
まだこの空間は生活感が残っているが、まぁ、場所や空間と作品の質、売買数には相関関係はあまり無いと思っている。
それどころか、集客もそんなに関係があるのかどうかわからない。
それどころか、費用対効果を考えたら、箱に予算は掛けられない。まぁ、世の中には金を使わなければならない人間というのがいて、そういう人は良い箱を用意するんだろうが、わたしは違う。手弁当だ。

さて、とりあえず、来年からボチボチ作品を飾っていこうと思っている。
経験から、理想の環境が整うのを待つより、とにかく始めてしまった方が良いはずだ。
走り始めてしまえば、あとは流れが出来る。
必要とされれば、箱もそのようになっていくだろうし、必要とされなければ、無くなるだけだ。

先日、海外のギャラリストと会った。
と言っても全員アメリカ人、しかも西海岸側だ。
以前、ニューヨークのギャラリーともいくつか出会ったが、関係が続いていない。
どういう事か、西海岸側の方が気楽に付き合える。まぁ、それはそうか、ニューヨークはとにかくビジネスライクだったし、着ているものもスーツで、姿勢も、喋り方も、表情も、硬かった。
西海岸のギャラリストたちはフランクだ。たまたまそうなのかもしれないが・・・。

日本はアジアの中でうまく立ち回れていないと言われるが、それはそうだ。
アジアの国で唯一(いや、西側諸国以外でと言って良い)、いち早く、資本主義という近代化の成功に乗った国なのだ。
文化的な流れは戦後アメリカを中心に、むしろ積極的に欧米の文化を取り入れてきて、そこに来てガラパゴス。独自進化だ。
グローバル化という世界の潮流の中、ビジネス上の立ち回りやイノベーションにおいてはうまく行かない事も頻繁に見かけるが、文化と言う側面を見ると、多様する価値観の中で生き残れる独自性があるんじゃないかとも思う。
世界一のものは世界中で売れる代わりに、世界二位のものは世界中で売れない・・・・極端に言うと世の中そんな流れだが、土地的な特徴、歴史的な体験を考えると、日本から面白いものが出てこないわけが無いと思っている。

アートにはローアートやローブローアートと、ハイアートと言う2つの流れがあるようだが、これは結局権威か新興か・・・と言う事だろう。
アートは作品そのものが歴史として積み重なるというより、作品単体がアンティークとして価値を保ち続けるから、二項対立しているんだろうが、ファッションなどはごちゃ混ぜだ。もちろん、今でもパリコレのブランド力は強いし、トレンドを追い続ける、生み続ける流れもある。
しかし、それとは全く違った文脈で、人間の身体にとって美しい洋服を目指す流れも出てきている。非文脈的という意味では、これはローファッションとでも言うのかも知れないが、だからと言って文化的レベルや知的レベルが低いと言う事は当然無い。

日本のアートでは、ハイコンテクストと言う流れがあったと思うが、それ以降、文脈化・言語化できないアートはダメだと思い込むアーティストもいたようだった。
そもそも日本はハイコンテクスト社会で、これは元々ホールが言い出した事で、日本は「あ・うん」の呼吸で、イチイチ言語化してコミュニケーションを取らなくても、驚くように仕事が、世の中が動いているのだ。だから言語化が苦手なのは文化的に正しく、ハイコンテクスト社会はむしろレベルが高い社会なのだ。

ただ、これは単一民族国家だから通じた事で、これからは言語によってコミュニケーションを取る必要はある。
しかも、アートなどという日本において多くの人が触れないものにおいては、言語によって伝える必要もある。
ホントは、その役割がギャラリストや批評家で、アーティストは自分の作品の制作意図、ステートメントが語れればそれで良いんじゃないかと思っている。

ただ、日本のアーティストで問題なのは、個々が資本主義化できていない事だ。
売ることや売れる事に興味が無いものが多い。だけど人には見せて発表をしたいと言うし、あわよくば売れたら嬉しいとも言う。
恐らく、「完璧に主観で制作したいが、作ったからには人に見せたい。でもそれは金のためではないが、どうしても欲しい人が居たら適性価格で売っても良い。」
と言う事なんだろうが、果たしてそれでどうなっていくのか・・・その先を教えて欲しい。
もちろん、アーティストが自分から作品を切り離して制作する事は難しい。むしろ無理だろうが、作品に自分が介入する余地なんていうのは、ホントはそんなに多くは無いと思っている。

いつもの事ながら脈絡がない。
まぁ、上手に喋らなければならないなどと思っていては、口を閉じるしかないから、仕方が無い。
口を閉じては、呼吸ができないのと同じだ。

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権威なのか市場なのか

メンバーからヴェネチアビエンナーレに関する記事を紹介してもらった。
わたしは数年前にアートバーゼルに行ったが、その時は時間が無かったこともあるが、ほぼ同時開催で距離も近いヴェネチアビエンナーレには行かなかった。
そもそも、日本の作家選考をみていると、行く気にもならなかった。
もちろん、アートバーゼルそのものが権威ではある。ここに繋がるにはマーケットを握る数人と繋がる必要がある意味では、アートバーゼルも権威が牛耳る市場と言えなくも無いが、それでもまだ、市場の方が信じられると言ったところか。

わたしはいつも、何故アートは音楽のように、アニメやゲームのようにこの国に浸透しなかったのだろうと考え込んでしまう。
考えても仕方が無い。よく言われるようにホームパーティが無いからかも知れない。家が狭いからかも知れない。飛び抜けたお金持ちがいないからかも知れない。
音楽やアニメ・ゲームと比較すれば、デジタルを取り込んで来なかったとも言える。チームラボがこれだけ流行ってるところを見ると特に。

日本の伝統文化は権威によって成り立っている。
戦争で負けてしまって、全てがリセットされたが、国を残すことは許された。国が残ると言う事は文化が残るということだ。
アートが市民の手に渡ったのはフランスの市民革命で、それまで貴族が牛耳っていたモノを、貴族を潰すことで市民が手にする事になる。
しかし、ご存知の通りアートが市民の手に渡ったところで、それまで貴族によって宮廷画家として成り立っていた画家としての職業は失われ、グッケンハイムが現れるくらいまでの長い間、存命のアーティストには暗黒の時代が続いた。
日本にとってはそれが敗戦だったと言って良いだろう。

華道は元々床の間が日本家屋に登場するまでは存在しない。それまでは葬式ようの手向けの花くらいだ。
床の間が登場したことで武将の、将軍様の家の床の間に生ける人間が必要になって、これが華道家としての職業の始まりだろう。
茶道は元々は賭博のようなもの、闘茶というが、まぁ、利き酒のようなもので賭けを行ってるようなものだったが、これも書院造りの家が登場して以来、禅などとも融合して発展して行った。
権威によって職業化したといって良いが、この時代は権威によって守られるというよりは、飛び抜けた金持ちがいた時代と言って良い。
仕えているモノは、守られるというよりは、競争に晒されて、実力主義で仕えていた。
幕府が崩壊した後は、その役割を財閥が担ったのではと思うが、戦争に負けては財閥もクソも無い。
もちろん、アートどころではない。

国は残った。文化も残したい。残さねばなら無い。だけど支えるモノがいない。
そこで権威化だ。

ジェイン・ジェーコブスが“市場の倫理”と“統治の倫理”ということを言っている。
この場合、統治というのは権威と言い換えても良いかも知れない。
統治に必要な倫理が、名誉やヒエラルキー、伝統を重んじるのに比べ、市場の倫理は協力、外交、信頼関係を重んじ、裏切りや利己的な考え、更には自分が有利な立場へたどり着くための手段や方策を取ってはならないとある。
対比的なのだが。。。。

日本のアート界は大きく統治の倫理が働いている。
いや・・・アートに限らず日本の社会は、企業も、戦後はずっとそうなのかもしれない。

更に市場の倫理には大切なものがある。
“競争せよ”・だが、暴力は締め出せ。

日本のアートは競争する場が少ないから仕方がないともいえる。

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伽藍を捨ててバザールへ

橘玲の本を読んでいたら、目指すところは間違っていないのではないかと言う感覚になって、多少は、勇気が出た。
まぁ、目指すところに辿り着くのかどうかが大問題ではあるのだが。

何でもそうだが、売れ筋商品というのはある。
どんなにニッチなジャンルの商品、例えば、日本のアートマーケットだって、売れ筋商品というのはある。
日本の場合はアートそのものが、商品としてはニッチだから、売れ筋商品とみなされない作品は、マーケットに並ぶ事さえ無い。
商品の幅を多少は持たせようと、売れ筋以外の商品を並べようとしても、そのポジションは既に繋がっている横の繋がりの中で決まっていく。
だから、作家を名乗る人々は飲み会が忙しい。

飲み会に出向かない付き合いの悪い作家や、地方の作家などは、情報弱者・人脈弱者になって、椅子取りゲームに参加する事も難しい。
そもそも、椅子取りゲームはそれ自体が伽藍のようなものだから、そのコミュニティの中の売れ筋商品、ボリュームゾーンに合わせていく以外に生き残る術が無い。日本にどれだけマーケットが存在するのかは知らないが、そのボリュームゾーンに収まって、それで食えていけてる作家がいるのなら、羨ましい以外に言葉が無いが、わたしのようなモノは、どうやら既存の伽藍での修行以上に性に合わないモノが無いようで・・・。

結局、自分で椅子を並べて、自分で座る。
BandH Galleryの作家は、みんな自分で、椅子は持参。だから、椅子が無くなることはない。
しかし、伽藍でも無いから、修行したところで登り詰める先も無い。
どちらかと言うと戦艦だ。船員は各自、自分の仕事をプロフェッショナルにこなす必要がある。
でなければ楽しく航海できないか、飢え死にするか、大海原で故障するか、遭難だ。
戦艦とは言え、戦うべき相手も見えてはいない。
目指すべき陸も見えてはいない。
とにかく、バザールへ出たいという意思だけで、海に浮いていた箱に入り込んできた人間が集まった状態だ。
この箱が、タダの木箱なのか、放置されたコンテナなのか、船なのか、戦艦なのか・・・・今、みんなで調査中といったところか。

自分の仕事をプロフェッショナルに突き詰めるという事は、橘玲の言葉を借りれば、「好き」を仕事にすると言うことだろうか。
まぁアーティストなどと言うのは、好きでなければ、毎日が夏休みの宿題を全くやらずに迎えた8月31日のようなものだから、誰もやらないだろうが。正しくは「ホントに好き」を目指すというところだろうか。

自分が好きだと思うものは、必ず既にそれが好きだという人間が存在する。
自分が好きなものが、世の中に自分だけなどと言う事は無い。もしあったとしたら、それだけ特別な存在は、アーティストとして悶々とするよりも前に、何かで頭角が出ているだろう。
「ホントに好き」の「ホント」が厄介なのである。
だいたいの人間は、モノを生み出す時に客観視する事が難しい。
努力点などが入って、必要以上に自分の作品の評価を上げ、反比例するように作品の質が下がっていく事がある。

企業努力と言うのは凄いもので、安く商品を造ろうと思えば、海外に工場を造ったり、栗の皮むきや食玩のペイントを中国人がやったりしている。伽藍を出てバザールに行くと言う事は、マーケットとしてもアート以外の全ての商品が比較対象となる。
自分の作品に付けている値段で、他のどんなものが購入できるのか、他のどんなサービスが受けられるのかを考えなければならない。
その客観性さえ失ってしまっては、それは1人新興宗教とでも言えばいいだろうか・・・。

香港バーゼル

  2015/09/18  ,

これで日本も国際社会に近付けそうだというべきか。
敗戦国としての役割が一つ増えそうだというべきか。
お上にしかわからない事もあるんだろうとは思うが、国民主権で民主主義と考えれば、少々強引か。
とは言え、今でも自民支持が最も多いのだから、致しかたない。今のままでは、次の選挙も自民のはずだ。

メンバー集めも落ち着き、作品のビジュアル的な色味はバラバラだが、わたしなりに基準はあって、それを脱していなければ、何がしかの統一感は出るんじゃないかと思ってはいる。
とは言え、ビジュアル面でバラバラだから、もっと多様性があっても良いか、各企画でギャラリー内の作品に統一感が出るほどには、メンバーがいても良いか、とも思わないでも無いが、今後は成り行き次第でゆっくり考えていこうと思う。

検索でやって来る訪問者も、ギャラリー名と言うよりは、幅が出てきた。
「企画画廊 売り込み方」とか「日本 コマーシャルギャラリー ダメ」とか「ギャラリー 取り扱い 損をする」とかに混じって「バーゼル香港」と言うのが目立つ。
スイスもマイアミも遠いから、香港バーゼルに行ってみよう、行ってみたいという人が多いのかも知れない。

そこで、香港バーゼルの感想でも書こうと思うが、スイスのバーゼルに比べると全然格調が高くは無い。
客層も一般市民や学生のようなものも多く、カメラの持ち込みも規制されていなく、撮影禁止のギャラリーも少なかったので、撮影会のような雰囲気だった。


2013-05-26 12.56.232013-05-26 12.55.432013-05-26 12.48.36もちろん、そうは言ってもバーゼルだ。
力のあるギャラリーは威信が掛かっている。雑誌やWEBでしか見られないような作品も来ていた。
右の写真の作品は誰の何と言う作品か忘れたが・・・ここにiPhoneを落とした客がいて、見物人を集めていた。

2013-05-26 13.11.022013-05-26 12.40.142013-05-26 13.09.35

新しい素材や表現の作品も多かった。
真ん中の作品はデジタル作成の銀塩プリントだったと記憶しているが、細部まで非常に良く造りこまれていた。
CGならこのくらいの事はやらなければ、「あぁ、CGだもんね」で終ってしまうだろう。
ちなみにこの作家のエリアは、Baselでは珍しく、売れた作品を展示し続けていたが、この作家の作品はほとんど完売だった。

2013-05-26 12.45.562013-05-26 12.45.082013-05-26 12.25.45

 

 

とは言え、わからないものはわからない。
というか、ほとんどわからないものの方が多かった。
右の作品などは、Wolfgang Stillerの作品かと思ったが、確か違ったはずだ。

まぁ、何が良いかわからないからこそ、アートフェアに、バーゼルに出てくるとも言えるんだろう。
意地と信念で、バーゼルに出られさいすれば、世界基準で最高の目と資産を持つコレクターに作品が見られる事になる。
そして、世界から大小アートファン、コレクタも来る。
ここに来て誰も作品の前で立ち止まらなかったら、色々と考え直した方が良いと思うほどには、お客は居た。
ただ、一般公開初日にはほとんどの作品が売約されているというスイスのバーゼルに比べると、そこまでは無いように見えたのは確かだ。
スイス・アートバーゼルは別格だ。

とは言え、とても複雑なネットワークからなるアート業界だ、バーゼルに出られるというのは万に一。
まぁ、出てくださいと言われても、資金が無い。

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まずは、やってみる。

そもそも、わたしがダークアートが好きで、ダークアートの作家に混ざったLAのグループショーで販売もできたので、ダークアート寄りのギャラリーをと思っていたが、募集してみたら、そんなに簡単な事でも無かった。
と言うよりも、むしろ全くダークアートな作家は来なかった。
確かに、わたしも10年くらいは活動しているが、国内でダークアートな作家に会った事は数える程しかない。

もちろん、ギャラリーを始める上で一番大事なのは始まるという事だ。
始めると言う以外の事にこだわっていては、始めれないかもしれない。かといって、作家を足で発掘するほどの暇も無い。
無理をしない中で、出会った者となら、無理の無い付き合いができそうだ。

結局、集まったメンバーは、作品と言う事もあるけれど、一番は人間かもしれない。
合う合わないという事ではない。何か一つ、わたしの勝手な判断で、魅力のようなものがあって、BandH Galleryに賛同してくれる作家、と言う事だ。
作品で断った作家も居るには居たが、一応ローブローと言ってあったので、そんなに的外れな作家からの応募は無かった。
もちろん、断られた作家も居た。
まぁ、魅力が無かったのだろう。
それはそうだ。魅力など、まだあるわけが無い。

真面目に取り組んでいる作家、楽しんで制作している作家、苦しんで制作している作家、困っている作家・・・。
わたしにも色々な面がある。その日によっても、多少昨日とは違ったものの見方をする事もあるだろう。だってニンゲンダモノ。
恐らくBLOGも一貫性が無いときもあるかも知れない。
だから余計に、色んな想いを持った作家を入れたかったと言うこともある。
現状、どのように制作に取り組んでいるかはそれぞれで違っていても、現状を変えたい、今の状況から脱したいと思っているのは、皆、同じだ。
その程度の共有意識があれば、何とかなると思っている。
まぁ、何ともならなくても良い。
ただ、やってみるだけだ。

しかし、そもそもやってみてダメなら始めなくても良かったところに、これだけのメンバーが集まった事には、少々驚いている。
特に気負った事も無く、気合を入れてるでもなく、流れのままに集めてみたのだが、次の段階を考えなければならないようだ。
ちょっとしたDIYの作業が待っている。

とにかく、次の段階をやってみて、その後のことは、それから考える。

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ひとまずの募集活動

募集を掛けたのはいつからだったか。
5月の終わりか6月の始めだったろうか。
とりあえず、一区切りを8月末日として、区切った。
平面作品だけでは、ギャラリーに幅ができないので、立体作家も入れて、バリエーションを増やしてみたが、立体は流通が難しい。
だからどこのギャラリーも、看板作家というのは平面だ。
油彩でキャンバスなら、特殊な事をしていなければ、木枠から外して丸めて送れる。
平面もそのままとなると・・・・100号ともなればアメリカまでで10万は掛かるだろう。

さて、この間の応募総数は30人ほど。
多いのか少ないのかは判らないが、思ったよりは少なかった。
これはまだ検索に引っ掛からないからだろう。事実、いくつかのコンペサイトに登録してあるが、取り扱い作家の募集が登竜門で無料掲載できないのが痛かった。ホルベインアーティストナビからの応募がほとんどだ。それ以外のサイトは意味が無いと言って良い程に来ていない。

Instagramでちょっとでも目に付いた作品には“いいね”を押して、そこから応募してくる作家も居た。
しかし、Instagramを利用している作家は、独立心が強かったり、セルフプロデュースを望んだりで、応募してきた数の割には、合意に至らなかった。
アーティストナビから15人ほど、Instagramから10人ほど、検索から5人ほど、そんな感じのようだ。

最終的に合意に至った作家は、今のところ6人。
合意に至らなかった24名の内、わたしが断ったのは実は5,6名で、後は辞退したか、返信が無いかで、メールがエラーで返って来て送れないのが5名ほどは居ただろうか。
わたしのメールは開封されれば通知が来るようにしてある。返信が来ないものも開封はされているので、間違いなく届いている。
と言う事は、辞退だ。

アーティストとしての成長ってなんぞ。」にも書いたが、わたしが断ったものの多くは、作風と言うよりは、貸しギャラリーをこれからも使い続けたいという点だ。わたしも貸しギャラリーを使ってきたので、それ自体はキャリア構築としてありだとは思うが、一応は企画ギャラリーだから、貸し画廊を借りてる作家を取り扱うわけにもいかないだろう。辞退したものの中にも、この点から、自ら辞退したものが多い。

そして、意外にも多かったのが、わたしの正体がわからない事への不信感のようだ。
結局、藤津恵と言うのはギャラリストとしての名前なので、検索しても出ては来ない。
これは、ギャラリストが作家の場合、その作風によって、取り扱う作家に偏りが出る事が多い。
良くも悪くも、ギャラリストとしての理念や目標ではなく、作家としてどう思うのか、好き嫌い問題が先に出てしまう。
または、作家としてのキャリアで、ギャラリーの質を決めてしまう。
そうならないための処置だ。
わたしは、他に取り扱ってるくれているギャラリーがある。
義理としても、そちらがメインギャラリーだ。
BandH Galleryに自分を取り扱い作家として迎え入れるかどうかは、未定だ。

まだ、若干名作家を増やしたいと思っているが、応募してくる作家は、ギャラリストとしてのわたしで判断して欲しい。
作家としては多少のキャリアを積んだかも知れないが、ギャラリストとしてはノンキャリアなのだから。
そして、どんなに聞かれても答える気は無い。
取り扱いになれば、伝えざるを得ないとは思うが、取り扱いでもなんでもない、選考中の作家に教える義務は無い。
わたしや他のメンバーと一緒に、どこまで歩いていけるのか、果てしない物語に伸るか反るかだ。
ファンタージェンなど無いかも知れない。あったところで、底なし沼でいきなりGAME OVERかも知れない。
何も約束などできない。
あるのは、夢と希望と小さな空間と6人の作家だ。

まずは6人。
アーティストページには5人しか無いが、1人は最近決まったので間に合わなかった。
今、話し合いを進めている作家も数名居る。
まぁ、これだけ居れば、小さな空間を作品で満たす事は難しくないだろう。
なんとか、形になりそうだ。
ギャラリーとなるわたしのアトリエの天井に、スポットライトのレールも付けた。
とにかく潰れないように、作家が路頭に迷わないように、費用を掛けない。スポットライトは全てLEDだ。
これが参った。1個3,000円。
作家が搬入時にスポットライトを持参でも良いんじゃ無いかと思ったが、それはさすがに酷すぎるか。
まぁ、徐々に買い足していく。

藤津恵

アートバーゼルは別格

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アートバーゼルはみなさんご存知だと思うが、これが行ってみてたまげた。
色々と噂には聞いていたが、ここまで来ると国の威信が掛かってるのだろうと想像する。
まず驚いたのが、これは2011年の事だが、アートバーゼルに行こうと思い立ったのが会期の半年前だったのだが、その時点でバーゼル市内のホテルが空いていない。
元々、バーゼルは観光都市ではないから、ホテルの数も多くは無いのかも知れないが、アートバーゼルの会場では世界の時計の見本市なども行われているし、定期的に世界の人々がやって来る街なんじゃないかとは思うが、とにかくホテルが無いのだ。
結局、1泊8万のホテルに泊まったが、きっと普段はそんなにしないだろう。どこのホテルも恐らくアートバーゼル会期中は値段が上がる。

アートバーゼルが世界のアートフェアの中で成功している要因の一つは立地なのだろう。ユーロエアポートからバスで来れる。
と言う事は、ドイツとフランスからは車で来れる。
ちなみに、バーゼル市民はソーセージを買いにドイツへ、パンを買いにフランスへ。と言うほどドイツとフランスへのアクセスが容易だ。
国境は車で、ノーチェックだ。
どうやら中東の大金持ちなどは、自家用ジェットをユーロエアポートに着けて、アートバーゼルで美術品を爆買いすると言う噂も聞く。
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そして、バーゼルの駅前はアートバーゼルで盛り上がっていた。
この時期、バーゼルはアートバーゼル一色といったところだ。
そして会場が巨大である。
私は3日間通ったが、それでもじっくりと見れてはいない。
後に、香港バーゼルにも行ってみたが、同じバーゼルと言っても全く別物だと感じた。
香港バーゼルはカメラの持ち込みも可能で、ほとんど作品の撮影会のようになっていたが、アートバーゼルはハンドバックサイズ以上のバックは預ける必要がある。
カメラももちろん持ち込み禁止で預ける。会場内で作品の写真を撮ってる人は無い。

そして、私のようないかにも観光客のような、芋臭いお客は、どこのギャラリーも相手にはしない。
ScopeやVoltaは、親近感溢れる対応をしてくれるが、バーゼルはお客を選んでいる。
私などがギャラリーブースに立ち入っても、まずスタッフは誰もやって来ない。
しかし、一見して貴族の末裔とわかるような、日本にいたらコスプレかと思うような、細い三つ編みを腰まで伸ばした騎士のような人がブースに入ってくると、スタッフがスッと立ち上がって、後ろの左右にピタッと貼りつく。

値段などは掲示してないので、一体いくらの作品なのかもわからないが、参加費だけで300万ほどのフェアだから、相当な値段に決まってる。
雑誌でしか見たことの無い作品が生で見れて、それには感動はしても、一体全体何が良いのかわからない作品も沢山ある。
売れたものは直ぐに下げられて、代わりの作品が掛けられるので、作品の脇に赤シールが貼ってあるようなものも見かけない。
どれだけ売れてるのかも想像できないが、スタッフを見渡す限り、忙しそうなところも多かった。

もちろん、会場のメインの位置にある作品はサイズも名前も凄いし、ギャラリーのメインの作品もサイズも作家も一流が多かったが、片隅のギャラリーのブースの、更に片隅になら、自分の作品があっても、別におかしくは無い・・・・そう思ったのは確かだ。
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それ以外のサテライトにもちょっと触れておく。
Voltaはこのとき7だったか。ちょうどカイカイキキがメインを務めた時で、会場入っていきなり大きな壁一面がカイカイキキだった。
それ以外のギャラリーは、カイカイキキの壁の奥に展開されている感じ。
カイカイキキのブースも覗いて、若い作家の作品も展示されていたが、そこにはお客が沢山いた。
ちょっと様子を見ていて気が付いたが、カイカイキキの作家でVOLTAに展示している割には、価格が安いのに驚いた。村上隆は日本でドメスティックに活動してる若い作家は価格が根拠も無いのに高いと、何かで言っていた記憶があるが、確かにそうなのかもしれない。世界の適正価格について考えさせられた。
基本的にVOLTAは個展形式なので、他のギャラリーは確か個展形式だったと思う。
コンセプトなどはハッキリしていて、見るには面白いが、コレクションするつもりで見ていると、日本家屋には置けないサイズのものが多くて、美術館を見ているような感じだった。
とは言え、実のところはアートバーゼルで時間が取られて、VOLTAとSCOPEは半日で回ったので、ゆっくり見れていない。
9そしてSCOPE。
こちらは時間が全く無くて、30分ほどしか見れてない。
帰国した後で、SCOPEも参加するのが難しく、大きなフェアである事を知ったのだが、それを聞いて驚くぐらい、最後の方は閑散としていた。
アートバーゼルに比べると庶民的な作品が多かった印象で、クオリティが高くてあまりサイズも大きくないものが目立った。
金額はそれなりにしたのかも知れないが、ゆっくり見るには楽しそうだ。
とにかく30分だから、見たうちには入らない。

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誰か原敬になってよ。

ひどい夏風邪を引いた。
肺炎を起こして緊急入院。30を越えた辺りから、今までになった事が無い病に掛かるようになった。それは、30代で無理をしたものが返ってきているという事かも知れない。まぁ、無理をした程の結果を得たれたのかはわからないが、無理をしないで歩めるほど、天才でもない。

戦後70年を病院のベットで迎えた。
世の中は常に、革新→パイオニア先導の社会、業界発展→革新だったのもが権威となって→権威でのみで体を成して→腐っていく。そして次の革新へ。
日本も今のような政党政治になる前は総理大臣は衆議院議員でなくてもなれたし、与党党首でなくても良かったわけだ。ようは藩閥によるコネで国は動いていたといって良い。
国際社会をいち早く意識し、当たり前の政治を行うために、原敬が政党政治への第一歩を踏み出した。
原はご存知だとは思うが、盛岡藩士の上級武士の出身であるが、後にそれを離れ、後に平民宰相となった人物である。
まぁ、戸主となったのは、身分を敢えて捨てたかったわけではないようで、腐っても鯛と言えば、そういう事で登り詰めたのかも知れないが・・・。
もちろん、時代が変わる時には混乱や痛みを伴うもので、この時は官僚機構の中で成績こそが評価基準となった事で、それはそれでそれなりに問題があったようだが、これから逃げていては腐っていく一方である。

美術ではどうか。
ちょうど、画壇と言うのが権威化しつつある時に学生だったレオナール・フジタが、この時代の日本美術の革新だったと言っていいだろう。
国レベルでも、業界レベルでも、企業レベルでも、だいたい革新から衰退の構図は似ているようだ。
どうしてもレオナール・フジタの話をする時に、その肌の表現方法に話が行きがちだが、表現はもちろん下手ではダメだし、それはそれで革新的な表現が必要ではあるのだが、フジタはドメスティックな場所に固執せずに、本場で勝負を掛けたところが評価されるべきである。
フジタの作品は本場で評価されたので、今でも価値を保ち続けて取引されているが、それは今も日本で多く目にする逆輸入としての価値を感じているように見えてなら無い。日本人の多くは、田中一村のようなスタイルの方が共感を抱くのではないか。
まぁ、それも、日本の歴史を見るとわからないではない。
出れば打たれ、巻かれれば面倒な人間関係とコネの世界だ。
周知の通り、原敬は暗殺され、帰国した藤田は日本に居場所が無く、結局フジタとしてフランス人としてフランスで死んでいる。

世界を見渡すと、フランスの市民革命によってアートというものも市民の手に渡ったのだろう。
しかし、宮廷画家が必要なくなったために、画家が仕事を失ってしまう。この時期が新たな革新の転換期の混乱だっただろう。
わたしの解釈だとこの混乱期は長くて、ソロモン・R・グッゲンハイムが現代美術をコレクションし、後にそれを財団所有としてソロモン・R・グッゲンハイム美術館が表れるまで、存命作家の苦境は続いたんじゃないだろうか。

しかし、その後の現代美術の発展も、今となっては権威化しつつあるように見える。
ようするに新規参入しにくいのである。ファッションもそうだが、アートも流行を作っているのは数人に過ぎず、そことのコネクションを作る方が、作品を造るよりも大事・・・と言っては過言だろうか。

そんな中、ローブローアートはフランス革命以降の革新かもしれない。
ローブローアートのギャラリーは作家にとって敷居も低いところも多く、また、ギャラリー同士の繋がりもフレキシブルなように見える。
トップスターはハイアートのトップスターと肩を並べるような価格で取引される事もあるが、ハイアートよりも作家として新規参入しやすいイメージがある。

敗戦国の日本は、世界の文化を牽引していく事はできないだろう。
最近は様子が変わっているようにも見えるが、世界の文化、科学技術、軍事を牽引していくのは戦勝国が常だ。
そう考えると世界のアートを日本が牽引する事も難しい。
世界のアートの中心は戦後、せいぜい2箇所、イギリスとアメリカで行ったりきたりだ。
これは敗戦国である日本で日本人としてアートを行う以上はこれからも当分変わらないだろうと認識した方が良さそうだと、わたしは思っている。

であれば、イギリスかアメリカ・・・・世界で戦う以外に道は無いのだが、これが、非常に、難儀だ。
夏風邪と入院でスッカリ色々と自信を失いかけて、しばらくは他力本願。

誰か、原敬になってよ。

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アーティストとしての成長ってなんぞ。

  2015/07/24  ,

作家を募集し始めてから2ヶ月は経ったか。
のんびりと、亀のようには進んでいる。
応募は以前ほどではないが、まだ定期的に来ている。
ギャラリーには大きく貸し画廊と企画画廊があるだろうが、BandH Galleryは企画ギャラリーのプライマリギャラリーだ。
企画ギャラリーといっても、作家とギャラリーの関係は色々で、完全に活動がギャラリーを通してのみで、完全プロデュースのところや、所属のような体裁ではあるが、実質取り扱いで、他での個人活動も許されるギャラリーや、個展の時には売れなくても作品を買い取ってくれる画廊なども聞いた事がある。

BandH Galleryはまだ何の力も無い。
縛ってしまっては、逆に作家の可能性を潰してしまうので、取り扱いと公言している。
自由に活動してもらって構わない。
と思っていたのだが、それは最低限のラインというモノがある。
応募してきたとある作家とのやり取りの中で、ここに関して認識が違っていたと言うか、理解が得られなく、結局取り扱いにならなかった作家がいたのだが、私なりの見解というか、基準を書いておこうと思う。

立ち上げようとしているギャラリーの、しかも何の修行も現場経験も無い私がオーナーのギャラリーとは言え、企画ギャラリーだ。
また、最近は企画ギャラリーでも、取り扱い作家というように固定せず、テーマに沿った作家を外から集めてきて企画展を行うギャラリーも増えているように見えるが、そういう事も今のところは予定が無い。やったとしても年に数回だろう。
基本的には取り扱い作家で展示を組んでいく。
プライマリーギャラリーの収益で生活していこうとは考えていない。むしろそんなギャラリーがいくつあるのか疑問だが。
日本にありがちな、新しいモノをポンと持ってきて、飽きられたらまた新しいモノをポンと持ってくる。音楽業界はまさにそんな感じだろう。最近は芸人もそうか。わたしは、そんなつもりは無い。
ギャラリーとして良いのか悪いのかは分らないが、メンバーを大切にしたいとは思っている。

もちろん、共に成長したい。
みんなも作家としてキャリアを積んでほしいし、ギャラリーとしても階段を登りたいと思っている。

応募要項には画歴も書くようにしてもらっている。
応募してくる半分くらいは、活動年数を書いてくるものもいるが、画歴とは通常、活動年数ではなく、活動年表の事だ。
ただ、ここで年数を書いて来る作家は、大体活動歴が浅いか、頻度が少ない作家が多いので、その後の話もスムーズだ。
話がこんがらがるのは、あまりにも個人活動が多岐に渡る作家が多い。

例えば貸しギャラリーをいくつも渡り歩いていて、想像するに貸し画廊の企画展などにも呼ばれている。
カフェギャラリーや市民ギャラリーでの展示に参加している。
デザインフェスタなどのクリエーターズマーケット的なイベントにも参加している。
作家活動していると、恐らくあまり選ばずに誘いのメールが来る、参加費支払型の展示に参加している。

企画ギャラリーに名前を連ねるのと、個人活動での大きな違いは、展示する空間を与えられるかどうかだ。
企画ギャラリーに名前があって、展示のための空間が与えられているにもかかわらず、費用を払って展示場所を確保しては、それはブランド力も保たれない。
音楽に例えるとわかり易いだろう。
メジャーデビューは多くのミュージシャンが目指すところだろうが、メジャーデビューすればチケット買い取り制でライブハウスで勝手にタイバンなどできないし、もちろん、自分たちで自作CDを造って売るなんて言う事はできない。もちろん、自治体のお祭りで演奏や、デザインフェスタで演奏などできないだろう。売れなければ、ただメジャーデビューしていますというだけで、活動の場だけが狭まる事もある。だけど、これがプロになる事のリスクではないだろうか。価値を上げるために取らなければならないリスクで、スターになりたければ覚悟しなければならない道ではないか。

デビューして、ダメならインディーズに戻れば良いだけだ。戻れるかどうかは、プライドの問題だけだろう。
その昔、そこそこ人気のあるインディーズバンドから、人気のあるメンバーを寄せ集めて一つのバンドを作ってメジャーデビューさせるというモノがあった。まぁ、ミリオンまでいったと記憶しているので、それだけでもメジャーを目指した甲斐はあっただろうが、バンド結成のいきさつを考えたら、インディーズに戻り難かったのでは思うが、それがメジャーに行くための取るべきリスクだったのだろうとは思う。
まぁ、Wikiで調べると、解散後もそれぞれのバンドがあるようなので、ダメならダメでどうにでもなるのだろう。プライドさえクリアできれば。

わたしの肌感覚からすると、上記の活動の全てが悪いとは、実は思っていない。
貸し画廊にもいい所はあるし、参加費を払っても展示したほうが良いものもあると思っている。
それはある程度活動している作家なら、それこそ肌感覚で理解してもらえそうだと思うのだが、そうも行かない事があるようで、理解し合えない原因は、同じ貸し画廊なのにA画廊は良くてB画廊はなぜダメなのか。同じ参加費を払って参加する展示で、なぜAはよくてBはダメなのか。そんなところだ。
全ての画廊や条件を整えて線引きする事なんて不可能だから、その都度相談してもらうしかないが、多くの場合はそれまでに繋いだ横の繋がりや、人間関係を維持したいと思っているようだ。
そもそも、当たり前に仕事と考えたら、自分の仕事のステージが変われば、仕事上で身の回りに出来る人間関係も変わる。横の繋がりも、そのステージでの横の繋がりができて、それまでの繋がりや人間関係は仕事上では接点がなくなるものだ。
人として、関わりを持ち続けたいと思うなら、それはプライベートで続けていけばいい。
そういうものだ。

が、ここの世界ではわたしの感覚がおかしいのだろうか。

とは言え、BandH Galleryは何も束縛はしない。
もちろん、良いと思わない事は伝えていくが、ダメなどと言うほど力も無い。
だから基本自由だ、その代わり、自由に対するリスクは、作家が取る事になる。どっち道、リスクがあるのだ。

藤津恵