権威なのか市場なのか
メンバーからヴェネチアビエンナーレに関する記事を紹介してもらった。
わたしは数年前にアートバーゼルに行ったが、その時は時間が無かったこともあるが、ほぼ同時開催で距離も近いヴェネチアビエンナーレには行かなかった。
そもそも、日本の作家選考をみていると、行く気にもならなかった。
もちろん、アートバーゼルそのものが権威ではある。ここに繋がるにはマーケットを握る数人と繋がる必要がある意味では、アートバーゼルも権威が牛耳る市場と言えなくも無いが、それでもまだ、市場の方が信じられると言ったところか。
わたしはいつも、何故アートは音楽のように、アニメやゲームのようにこの国に浸透しなかったのだろうと考え込んでしまう。
考えても仕方が無い。よく言われるようにホームパーティが無いからかも知れない。家が狭いからかも知れない。飛び抜けたお金持ちがいないからかも知れない。
音楽やアニメ・ゲームと比較すれば、デジタルを取り込んで来なかったとも言える。チームラボがこれだけ流行ってるところを見ると特に。
日本の伝統文化は権威によって成り立っている。
戦争で負けてしまって、全てがリセットされたが、国を残すことは許された。国が残ると言う事は文化が残るということだ。
アートが市民の手に渡ったのはフランスの市民革命で、それまで貴族が牛耳っていたモノを、貴族を潰すことで市民が手にする事になる。
しかし、ご存知の通りアートが市民の手に渡ったところで、それまで貴族によって宮廷画家として成り立っていた画家としての職業は失われ、グッケンハイムが現れるくらいまでの長い間、存命のアーティストには暗黒の時代が続いた。
日本にとってはそれが敗戦だったと言って良いだろう。
華道は元々床の間が日本家屋に登場するまでは存在しない。それまでは葬式ようの手向けの花くらいだ。
床の間が登場したことで武将の、将軍様の家の床の間に生ける人間が必要になって、これが華道家としての職業の始まりだろう。
茶道は元々は賭博のようなもの、闘茶というが、まぁ、利き酒のようなもので賭けを行ってるようなものだったが、これも書院造りの家が登場して以来、禅などとも融合して発展して行った。
権威によって職業化したといって良いが、この時代は権威によって守られるというよりは、飛び抜けた金持ちがいた時代と言って良い。
仕えているモノは、守られるというよりは、競争に晒されて、実力主義で仕えていた。
幕府が崩壊した後は、その役割を財閥が担ったのではと思うが、戦争に負けては財閥もクソも無い。
もちろん、アートどころではない。
国は残った。文化も残したい。残さねばなら無い。だけど支えるモノがいない。
そこで権威化だ。
ジェイン・ジェーコブスが“市場の倫理”と“統治の倫理”ということを言っている。
この場合、統治というのは権威と言い換えても良いかも知れない。
統治に必要な倫理が、名誉やヒエラルキー、伝統を重んじるのに比べ、市場の倫理は協力、外交、信頼関係を重んじ、裏切りや利己的な考え、更には自分が有利な立場へたどり着くための手段や方策を取ってはならないとある。
対比的なのだが。。。。
日本のアート界は大きく統治の倫理が働いている。
いや・・・アートに限らず日本の社会は、企業も、戦後はずっとそうなのかもしれない。
更に市場の倫理には大切なものがある。
“競争せよ”・だが、暴力は締め出せ。
日本のアートは競争する場が少ないから仕方がないともいえる。
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