BandH Gallery

Escape on the Edge

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あるコミュニティの中での需要

  2015/06/07  ,

本田圭祐がクラブチームを買い取るようだ。
サッカーの事はよく判らないけれど、プレーヤーがフィールドを持つという事だろう。
アートにおいてはプレーヤーは作家、活動フィールドは基本的にはギャラリーと言うことになる。

私も色々と活動をしてきた。
画廊での個展から、グループ展、国内外のアートフェア、外国のギャラリーでの展示、デパート・・・。
若い頃は、外国で展示する事や、銀座のデパートで作品を発表する事、ニューヨークのアートフェアに参加する事と言うのは、とても大きな事と考えていた。
まぁ、浅はかで無知と言えばそうだけれど、そのくらいに活動していれば、何かこう、今風に言えばリア充で居られるのだろうと想像していた。
しかし、そうではなかった。私の場合・・・と、付け加えるべきだろう。

日本国内で十分な需要のある生きた作家がどれだけ居るのかは知らないが、少ないだろう。
私は幸い、場はそれなりに与えられたし、掴んできたと思うが、それでも満足できないのは、需要が無いからに他ならない。
音楽の世界や、映画でもそうだが、そのジャンルが盛り上がっている時と言うのは、実験的な作品ができてきたり、マニアックな需要も出てきたりする。私の作品もその手のものだ。
数を打って当てるタイプだし、マニアックなファンを時間と労力を掛けて掴むタイプだ。
私に限らず、ローブローアートやダークアートと言うジャンルは、国内外で数を打って行くという活路を開く以外無いと思っている。

日本でローブロー系やダークアート系の作品を制作している人も、ネットを見ていると居るようだが、彼らがどうしたいのかはわからない。
特に活動してる様子の無い人から、クラブ系や音楽系と繋がって活動してる者も居るようだが、アートのフィールド、ギャラリーと言う場で活動したい日本のダークアート系作家はどれだけいるのだろうか。

私が困ったように、苦労している若い作家が居れば、何か工夫をしてみよう。作品はあるのに場が無いというのは、一番もったい無い足止めだ。そんな作家の力になれれば私も嬉しい。

BandH Galleryは、私個人の所有スペースというよりは、想いと作風を共有する作家で造り上げる場だと思っている。
プレーヤーが場を実験的に運用するのも面白い。それが始まりだ。
私の場合、ギャラリーは他にある。一緒に遊んでくれる作家を探している。

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需要と供給が合わない

これはハンスアビングも言っている事だから、日本に限った話ではないのだろう。
どんな分野でも売れてるモノは売れている。売れないものは売れない。
「世間が放っておくはずが無い」というのは、インターネットの時代になって少しは信憑性がでたような事柄も発生しているが、基本的に売れるものは売れる場所で売れる人に見せて売ろうとしなければ売れない。

プロのアーティスト、というものの基準は難しいが、アーティストを何段階かに分けてみよう。
・食えてる作家
・企画ギャラリーに取り扱い、或いは所属
・貸し画廊やコンペなどで定期的に発表
・展示即売関連のイベントに参加
・制作のみで発表はしない

以前、村上隆氏がどこかで言っていたプロの基準は、企画ギャラリーで取り扱い以上だったと記憶しているから、これを仮にプロの基準としてみよう。私自身を振り返っても、ここがとりあえずの目標だった。しかし、企画ギャラリーと言っても色々だと、いずれわかる。
そうなると、以前ならG7と言われていたような、有力な顧客とも多く繋がり、一流のアートフェアなどへの出展も果たしているギャラリーに取り扱われるのが良いと言う事になるが・・・・G7はGallery7で7つだ。狙って行けるものではない。

年間芸術系卒業生が16000人居る。これには音楽系なども含まれるが、それでも数千、或いは万単位の人間が毎年輩出される。
7つではどうしようもない。企画ギャラリー全体を見ても都内に30~50軒くらいだろう。
企画ギャラリーも色々だと言ったが、ホントに色々だ。
もちろん、取り扱い作家の作品を売って成り立っているところもいくつかあるのかもしれない。
が、ほとんどはセカンダリー(中古市場)で成り立っているか、どうにかしたらお金持ちの奥さんが税金対策で趣味のギャラリーを善意でやっていたりもして、こういうところは人は良いが売れない。
だが、ほとんどの作家はどこでもいい。企画ギャラリーに取り扱われたら満足してしまう。
それより上に行こうとしないのか、できないのかはわからないが、とにかく動かない。いや、動けないのかもしれないが。

とは言え、所属できなければ貸し画廊などで、手弁当で作品を発表するしかない。
逆を言えば、企画ギャラリーに入ってしまえばタダで展示の機会を得られるというだけで、安心してしまうのかも知れない。
ここで出てきた貸し画廊は、企画画廊よりも厄介だ。色々過ぎる。
私も企画ギャラリー以前は貸し画廊を借りた事がある。
最高は完売だったが、それ以外は坊主だ。
完売しても坊主でも、貸しギャラリーでも企画でも、それなりのところに行けない限りは、1日に10組来るか来ないかだ。
貸しの場合なら15万~25万程で1週間借りるだろうが、1日2万~3万払って、来る客が10組。
1組の客に2,000円~3,000円支払って、作品を見て“頂く”という事だ。

話は変わるが、日本の場合マーケットの大半はデパートだ。
そしてデパートで売れるアートはコンテンポラリーではない。草間くらいだろう、売れるのは。
となると、特にコンテンポラリーは日本で売る事が難しい。

フリーで活動して、切り開く作家もいるのだろうが、これには作品以外の能力が多く必要だ。
特に日本の作家は商売気がなく、セールスも上手くない。でも売れたいと思ってるから厄介だ。
そうなると、マーケットの入り口に立つためにも、ギャラリーに所属したいと考える。
ギャラリーの冠が無ければできない事がある。アートフェアへの参加だ。
アートフェアも色々だが、基本的にはギャラリー単位で出展する見本市だ。
その地域のアートファンやコレクターなどが多くやって来る。

私の実感としてはギャラリーというのは窓口である。
キャリアのはじめの頃はギャラリーと言う空間に多くの期待があったが、今は無い。
自分の作品を客観的に見る機会、くらいに思っている。
その先で大事なのは、ギャラリーの空間でも無ければ、資本金でもない。もちろん立地条件でもない。
ギャラリーの色と自分の作品の色がマッチしている事と、ギャラリーがどういう動きをしているかが問題だ。
アートフェアにも出ずに、デパートの催事などもせず、顧客も大して付いて無いギャラリーは意味が無いが結構ある。
これからギャラリーを探そうと言う作家はこの辺に注意して当たってみて欲しい。

BandH Galleryの敷居はとてつもなく低く設定した。もちろん、今はメンバーが居ないからで、いずれはわからないが。
活動暦が欲しい。自分の作品を客観的に見てみたい。そんな理由なら数十万も払う必要は無い。是非、私のGalleryを使って欲しい。持ち込み、売り込み、是非して欲しい。
ただし、作品は選ぶ。人も選ぶ。
もしかしたら、体制が整えば、手ごろなアートフェアなどから出て見るのも面白いと考えている。
その時の事を今から考えれば、当然だ。

ギャラリーとしての色と、共に歩める作家でなければやる気も起きない。

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熱意というかなんと言うか。

日々、サイトのアクセス数は大して上がっていない。
ゼロの日も多い。
インデックスはされ始めているが、キーワードが弱いのだろう。まだページ数も少ない。
ひとまずは、Blogでも書いてページを増やす事になる。

そんな弱小WEBサイトとギャラリーだが、そんなところにも問い合わせがある。
先日も作家志望の男子からメールが来た。
作品は・・・・・な感じだったが、とにかく熱意が凄い。
これを勘違いというのか、熱意というのかはわからない。
私には彼のような勢いや、他人に豪語するほどの自信というのを持ち合わせていない。
自信というのは、自分の中で火種をともし続ける程度のものだ。
だから興味はある。

その次の展開は会って・・・という事なのだが。困った。
お金が無いから会いに来れないらしい。大した距離ではない。
往復したって3千円程度だ。
とにかく最近の若者はお金が無いらしい。
育てる。という意味では、私が移動費を負担すべきなのだろうか。
使われるものと使うものの関係性なら、企業が採用面接の移動費を負担するように、そうすべきなのだろうが・・・。

彼の作品に飛び抜けた何かを見出した訳でもない。
さらに、飛び抜けた何かを見出したところで、全てを世話するギャラリーではない。
ともに成長する気が無い。作家は、ここでは無理だろう。

遊び心、下克上、全てはホントで嘘かもね。
そんな言葉にピンと来た作家とは、一緒にやっていけるかも知れない。

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手弁当とギャラリーと私

ギャラリーの形態にはいくつかあるが、日本では大きく別けると2つだと思う。
貸しギャラリーかそうで無いか。
貸しギャラリーはギャラリーをレンタルする。費用を払えば、そんなに見つける事は難しくない。
そうでないギャラリーの場合は、商業画廊とか企画ギャラリー、コマーシャルギャラリーなどと言われるが、内容は色々だ。

貸し画廊も色々、それ以外も色々。
ただ、貸しギャラリーと言うのは概ね日本にしか無い。と言うか、コレだけ多く存在するのは日本だけのようで、世界基準だと貸しギャラリーで発表している間はプロとは言われないようだ。
ただ、日本の場合は受け皿(コレクタ)の少なさと、日本人特有の技術力から、貸しギャラリーでも良い作品を展開してる作家も少なくない。
こういう作家を海外のギャラリストが目にすると「こんな良い作品を造ってるのに、なんであの作家は場所代払ってギャラリーを借りてるんだ?」とか「いい作品なんだから作家からお金を取らずにちゃんと売らなきゃダメだよ。」と言われる事が多い。

まぁ、海外から見てどうであれ、日本のこの現状はそう変わるものではないだろう。
そしてこれがダメなのかどうかは良く判らない。
時給800円のバイトやパートで成り立ってるような企業は潰れた方が良い。
と言う意見と
時給800円だって働く場所が無いよりマシだ。
と言う意見が対立するのと同じで、日本は今のところ後者を選ぶ社会だ。
お金を出したって発表する場所があったほうが良いと考えるのは当然かも知れない。
そもそも自由市場なのだから、需要があるから供給者が現れる。貸し画廊そのものは無くなるはずが無い。

問題なのは明らかに趣味のサークルが発表する貸し画廊と、可能性を持った若い作家が借りる貸し画廊の区別が無いことだろうとは思う。
実際はその区別はギャラリーごとにあるけれど、それはパッと見には判らない。世間から見たら判るはずも無い。銀座で個展でもしてたらなかなか凄いものだと思われる。小柳も貸し画廊も大して変わりは無いのだ。
趣味のサークルで発表してる作家と、一流の作家が、同じ銀座と言う土地で、ギャラリーと言う空間で展示をしている。世間からみると同じようなポジションに見える。だけど作品の質は明らかに何かが違う。
となれば、世間は置き去り。ますますアートは難しい。となる。
アートの中の人にも、貸し画廊をよく言わない人もそれなりに見かける。
確かに、NICAFがどうやって衰退したかを見ると、一括りにして批判したくなるのも、気持ちは判る。

さて、私もそんなに経験があるわけではないが、日本に貸し画廊が必要とされる理由はあるのだろうと思う。
海外のギャラリーで展示をする機会が増えて、海外のギャラリーもチェックしているが、海外にも大きく2つあるように思う。
一つは作家を抱え、フェアなどにも積極的に出て行く。もう一つは高級雑貨店的ギャラリーである。
私は後者のギャラリーでしか展示した事は無いが、後者のギャラリーでも結構売れる。日本よりは売れる。
作風やギャラリーの力と言うのもあるだろうが、やはり顧客が多いのだろうと思っている。
海外の場合は専属作家や取り扱い作家などの区別をせずに、毎月テーマに沿った面白い作家を集めて展示をすれば、それでもそこそこ売れて成り立つギャラリーもそこそこあるようだ。
日本でもこのやり方でギャラリーが成り立てば、貸しギャラリーも無くなる・・・と言うか、貸す必要がなくなるギャラリーも多いのだろうと思うが、もちろんそうはいかない。
供給過多と言えばそうなのだけど・・・。

手弁当。
最近はそれはカッコ悪い事のように思われているように見える。
貸しギャラリーもそうだけど、海外のフェアに有料出品や、海外有料個展、はたまた雑誌有料掲載から自費出版写真集まで。
良いイメージが無い。私も良いイメージは持っていない。
しかし、世界の村上とそのギャラリーがどうやって世界を目指したのかを見れば、手弁当以外の何物でもないのだ。
アートバーゼルを視察しにバーゼルへ行った時、近くの雑居ビルの地下でバーゼル・ジャパンと言うギャラリーサイズのフェアをやっていた。帰国して調べてみると、ネットサーフしていると良く見かける海外フェア有料出品代行のようなところの主催だったのだが、それでも日本の平均的なギャラリーよりも売れていた。
金銭を取って何かをしてくれようとするものに私も良いイメージは無いのだが、それ以来多少気持ちを改めた。
出品費用は妥当か。ちゃんと人選しているのか。
その二点をしっかり見極めるだけでもチャンスを見逃す事は減るだろう。
ネットで調べても情報は出てくる。

ネットも信用できたものじゃない。会うのが、一番早い。

チャンスはどこにあるかわからない。
みんなもっと自由に、潔癖症を治せば良いのにと、常々思っていた。
だから私からそうする事にする。

よって、BandH Galleryはキャリア不問。
もちろん、貸しギャラリーではない。かといって、何ギャラリーなのかはわからないが、これから集まる作家次第といったところだ。
ドシドシ自薦して欲しい。

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他人の感覚を変えるなんてできないよ

  2015/05/11  

色んな原因があるとは思うが、日本にはあまり美術作品を所有すると言う文化と意識が無い事は周知の事実だ。
まぁ、貧富の差が少ない(飛び抜けた金持ちが居ない)からだとか、ホームパーティーが無いからだとか、家が狭いからだとか、自慢が好きではないからだとか、税制の問題だとか、昭和バブル崩壊の際に美術品が価値の根拠を保てなかったとか何とかカンとか。

とにかく日本人はすっかり美術品を買うという事に興味をなくし、近寄らなくなった。んじゃないのか。
それはともかく、そんな中にあって、「日本人のアートに対するメンタリティーを変えるんだ!!」と言う意見を耳にする。
私も昔はそんなロマンチックな事を考えてもいたし、それが理想だとも思っていたが、ハッキリ言って他人の感覚を変えようなんていう旅は果てしなさ過ぎる。そんな旅をするくらいなら、自分の作品が受け入れられる場所を探す旅をした方がよほど身になりそうだ。

私の作品は半分は国内、半分は海外くらいの割合でコレクションされているが、国内では好き嫌いが大きく分かれるようだ。
昔は私の作品に否定的な感情を抱く人を、どうやって振り向かせるかと言う事も考えていたが、今はそこにはあまり労力は割かないようにした。国外に行けば、売れる場所がまだまだあるのだから。

別に売れる事が全てではない。作品はコミュニケーションツールだとする意見にも賛成だし、何かを世の中に提示しているのだから、より多くの人の共感を得られるようにしていくべきだと言う意見にも賛成なのだが、自分を分かって欲しいとか、自分の意見を通したい、認めて貰いたいなんていう事には興味が無い。だいたいお前は何様なのだ。と自分に言いたくなってしまう。

事はもっとシンプルだ。
自分が生きている間に、自分の作品がどの程度世界に受け入れられるか。

その世界と言うのは、ある特定のコミュニティーと言う意味の世界ではない。
Worldだ。

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SEO回り

とりあえずSEO関係の調節も済んだ。
とは言っても、実際はページ数と文字数が増えなければサイトとしての充実度は低いが。
WEBマスターツールでサイトマップは上げた。
インデックス依頼も出した。とりあえずBingとGoogleにはギャラリー名で引っ掛かるようになった。
インデックスされ始めている。

とは言え、ギャラリーの名前で検索してくる者が居るはずが無い。
閲覧数が増え、興味を持ってくれる作家から連絡が来て、作品も人間も相性がいい作家を数人集めると言うのはいつになるだろうか・・・。
リアルに動き出す日はいつになるのか、設定はしないようにしている。

ギャラリーと言うのはほんとに人が来ない。
もちろん、来るギャラリーもあるんだろうがそれはホンの一部で、それを目指していては本業が疎かになる。
ギャラリーの冠が無いと動きにくい事がある。
逆に言うと、ギャラリーの冠があるとやり易い事もあると言うことだ。
それをやって行けたらと考えている。

その昔、ニューヨークで貸し画廊をやっている日本人女性から展示の誘いを受けた事がある。
作品の往復代を作家持ちで、展示そのものは企画展なので無料だと。
売れた時のコミッションがどの程度だったかは覚えてないが、恐らく50%だろう。
「返送の意思が無い場合はこちらで処分します。」
その言葉に展示を辞退した作家も居たが、クールと言えば確かにクールだ。
「画暦に“ニューヨーク”と書けるだけでも往復代負担して参加する意味はあると思いますよ。」
とことんクールだった。
だが、合理的とも言える。

私にも基準はあるが、その基準を満たしていれば、チャンスには乗って来た。
それが正解なのかどうかはいまだに分からないが、その時は参加した。
確かに、その時分は画暦の“ニューヨーク”は輝いて見えた。
それが何か意味を持ったかどうかもいまだに分からないが、何か一歩進んだ気にはなれた。
気のせいでも何でも、一歩進んだ感覚は、勇気と希望をくれるものだ。
まずはそんなギャラリーを目指す事になるだろう。

辺境・・・
東京、大阪、京都、金沢
この辺りにはギャラリーもいくつかあるようだが、それ以外の土地には貸し画廊やカフェに併設のギャラリーが良いところのようだ。
夢と希望だけを胸に、地方で黙々と作品だけ造り続けてる作家は結構居る。
そんな作家にとっては、無料で、企画で展示できると言うのは多少はエネルギー補給になるはずだ。

もちろん、国が変われば、“日本で展示”と言う画暦に、気のせい程の勇気と希望くらいは与えられるかも知れない。
いずれは国外のギャラリーと交流を得て、交換展示をしたり、メンバー次第ではフェアに出て行ければ、冒険は益々楽しくなる。

冒険したい作家はご連絡ください。

早速の問い合わせ

  2015/05/07  

ホームページとは便利なもので、立ち上げて公開すると、敏感な人にはすぐにキャッチされるようだ。

早速、作家志望の若者とお会いした。
地元のハンドメイド展のようなものでは、それなりに売れているようだ。
見せて頂いたが、納得。とても良い作品だった。
アートとして見せて、売っていくには、荒削り感は否めないが、描き込みとサイズ、素材を練れば面白い作家になりそうだ。

埼玉の奥からのお越しで、辺境から・・・・
キャリア無し、美術教育経験無し。

だから面白いとも言える。

辺境でモジモジしているムーミンのような作家が居たら、是非また、お会いしたい。

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情報と言うのは・・・・。

  2015/05/04  ,

このサイトは元々と言えば趣味でWordpressを覚えたかったところから始まってるのだが、私が始めてWEBサイトを構築した時と比べたら格段と構築のための情報が入手し易くなっている。

私が始めてWEBサイトを構築した1999年は、本を買うところから始まったものだが、今はWEB構築のための情報がWEBから入手できる。
How toモノの書籍の場合、書店に並ぶのは常に最新版のアプリケーションの事が多く、古いバージョンの書籍を見付ける事が難しかった。
しかし、WEBで情報を得ようとすると、その情報がどのバージョンのものか。判らない。

今回、サイト構築に当たり、カテゴリーやタグ、タクソノミーやタームで振り分けるという作業がいくつか必要だった。
私が調べて辿り着いた情報では、PHPのhas_termにしても、プラグインの「Display Posts ShortCode」にしても、指定するものはタクソノミーとタームの組み合わせと言う事だった。「Display Posts ShortCode」にいたっては、オフィシャルでもそう書いているのだから参った。

結論から行くと、両方ともタクソノミーとタームの指定ではうまく行かなかった。 *1
これも私の環境だからかも知れないが、「Display Posts ShortCode」の場合は全くプラグインが走らなかった。
解決策としては、ちょっと感が良ければ考え付きそうだが、ポストタイプから指定する事だ。

多くの情報が自分にとっても是とは限らない。
辺境には辺境に合う作家が集まるだろうし、辺境にしか提示できないモノもある。
だから革新は常に辺境からやって来る。

結局は、何を信じるか。と言う事だ。

 

*1
has_termに関してはタクソノミーとタームも指定でうまくいくようだ。

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辺境からしか革新は来ないと言うけれど。

  2015/05/03  

全ては趣味である。いかに楽しくできるかが鍵。
特にアートというのは金にならない。もちろんなる人間はいるのだろうが、死屍累々の屍の方が圧倒的だ。
ビジネスでやろうとすれば概ね傾く。そして潰れる。
どれだけ楽しい思いをしたかが勝敗のポイントかも知れない。
趣味の領域でWordpressを習得したかったので、何となく新規サイトを立ち上げたかったところで、なんのサイトを構築すれば良いのか思いつかず、そういえばギャラリーなんかは面白そうだというところで、なんの目処も無く造ってみた。

やろうと思えばスタジオを開放してギャラリーにしても良いと思ってる。
海外にはそういったギャラリーとスタジオが一緒になってるオルタナティブスペースはいくらでもあるのだから、まぁ、趣味なので何でも良いだろう。
やるからには知恵を絞る必要があるが、作家としての制作が忙しい。
もちろん金には大してならないが。
当面はメンバーを集めて実験的に展示をして行く形になるだろう。まぁ、それもいつになるか判らないが。

良質な作品は今までに繋がってきた海外のギャラリーなどに紹介して、交換展示などしていけたらと思う。
革新は辺境からやってくるのは自明だが、偏狭すぎるこのサイトとギャラリー兼スタジオから、何か革新が生まれるのかどうかは我ながら信じがたいものはある。