BandH Gallery

Escape on the Edge

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良い事なんて、言わない

  2015/07/19  ,

取り扱いが決まっている作家から「Blogにもっとポジティブな事を、方向性とかがあるんですから書いた方が良い。」と言うようなメールを貰った。
確かに、我ながらネガティブな感じはするし、ギャラリーとしてどうこうと言う内容の話は全く書いてないのが面白い。
しかし、これで良いと思っている。
思いつきで立ち上げようとしてるギャラリーの、立ち上がるまでのBlogに、そんな大そうな事は書けない。
日々の独り言のような事を書いてはいるが、それを読んだとして、それでも何か共感してくれる人となら、うまくやっていけると思っている。

ホルベインアーティストナビに登録もして、現在限りなくオープンに作家を募集しているが、窓口は全てここだ。
それを考えたら、もう少し蜜を塗っても良いのかも知れない。いや、普通に考えたらそうすべきなのだろう。

カッコ付けようと思えば付けられるが、カッコ付け続けるというのは至難の技だ。どこかでボロが出る。
実際、甘い誘いを受けて、話に乗ったところで、その後そんなに幸せな活動に至ってない作家は多い。
無理やりにでも、カッコ付け続けられるものは大したものだ。
一気に世界のステージへ上げていきます。
と言って、ホントに上げられるものは大したものだ。

それに、あまり甘い蜜を塗りすぎると、楽して得取れとばかりに、丸投げしてくる者が必ず出てくる。
丸投げされても困る。
損して得取れ。それが正しい使い方だ。
何がどうなっているのかわからないギャラリーで、何か良い事はあるんだろうかと思われるのは承知だ。
実際、約束できる何も無い。
だが、損した分だけ得も取れるかも知れない。
何が得かなんて、ここに書けるはずも無い。
それは、約束事ではないのだ。トレードオフではない。
取りに行く気がある作家でなければ、損するだけかも知れない。

だから、敷居は低く、条件も低く、しかし、蜜の代わりに苦い薬を塗ってある。

藤津 恵

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当たり前の感覚で

  2015/07/16  ,

早くも7月。
サイトを立ち上げて2ヶ月くらいになるか。すっかり暑くもなった。
メンバーは、何人か集まっては来ている。
最弱とは言え、ノンキャリアでスタートとは言え、始めてくるとわかる事もある。
ギャラリーも色々なら、作家も色々と言う事だ。

さて、そんな問い合わせの中に、「一般公募をしている珍しいギャラリーがあったので・・・・」と書かれた作家が居た。
そうなのかと思って調べてみたが、ギャラリーが取り扱い作家を募集してる事は確かに少ないようだ。
以前、何かの雑誌で読んだ事があるが、現所属作家の紹介で入れる・・・と言うのがほんとなのかどうかはわからないが、当たり前の感覚から言えばおかしい。
まぁ、企業もブラックがあれば社員がブラックと言う事もある。
ギャラリーがブラックなところもあれば作家もブラックな者はいるのだろう。
以前、岩波書店が募集要件の中に「縁故採用」を謳った事があった。
ようは、ブラック社員が多い中で、コネで入ってくる方が信用ができる。とか、どうしても採用に進みたい学生は、必死でコネを作って来るだろうから、そのくらいコミュニケーション能力が高い人間が欲しいとか、そういった意味があるのだろうと考えれば、それも悪くないのかも知れないが。

人間なんて、コミュニケーション能力か、事務処理能力か、クリエイティブ力のどれで勝負するかと言う事だろうから、コミュニケーション力が欲しい企業には良いのかも知れないが、ギャラリーとしてはクリエイティブ力を見たい。
人間、いくつもの能力を持ち合わせる事は難しい。だから1つの事に秀でると、あとはおろそかになり易い。だからゼネラリストになるのは難しいのだ。
作家は、多くはクリエイティブ力に秀でている。よってコミュニケーション力の低い者が多い。
企画ギャラリーも色々だが、たまにギャラリー巡りをすると、何のどこが良いのか判らない作品がある。もちろん、価値観は多用だからどうでも良いのだが、私の中ではこの手の作家はコミュニケーション力が高いか、運が良いのだと思っている。

実際、作品はイマイチでも、コミュニケーション力のある作家は、色んな場所で作品を見るし、色んな場所に出没する。
しかし、実際売れていたり、大きな仕事をする作家は、作品が良い。好きか嫌いかは別としても、巧さがある。
こういう作家はコミュニケーション力も備わってる羨ましい作家か、あるいは運があるのだろうと、最近は思っている。

普通の企業では、どのように仲間入りするのか、その方法が、通常はWEBサイトに記載されている。
もちろん、ヘッドハンティングやスカウトだってある。
外から入ってくる者に対してオープンになっているのが普通だ。

アート界はその点では普通ではない。
価格も、通常は新製品でもコストを抑え、利率を押さえ、ギリギリのところから売りに出る。
それが受け入れられ、売れれば売れるほど、商品は安くなる。
作品は、なんの根拠があると言うのか、最初からノンキャリアでも、それなりの価格の作家が日本には多いように見える。
そして、売れれば売れるほど高くなる。それは、世界中同じのようだが。

BandH Galleryは当たり前にやっていく。
仲間になりたければどうぞ。規定に沿って応募できるようにしてある。
もちろん、応募したところで、仲間入りとは限らないが、今はまだ、入り易い。

藤津恵

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全てはGAMEのように。

  2015/07/10  ,

私がBandH Galleryの運営を遊びだという事に、多少の違和感と不安を感じている応募者もいるようだ。
その応募者も二桁に乗ってきたが、面白いのはホンの一部だ。
まぁ、何度も言うが、私が面白いと思うかはどうでも良い。面白いと思ったところで、なんの保証も無い。
逆に言えば、面白くなくてもいい。思いと、作風が合えば。

私は思いっきりゲーム世代だ。
若い頃はゲームセンターに入り浸った時期もある。今のようにゲームセンターが明るく、開けた場所で、デートスポットに成り上がったのも、その頃だ。予備校のあった池袋のとあるゲームセンターでは、名前を勝手に付けられ、私の周りにはオタクな女の子のギャラリーができ上がった。
しまいには、顔も割れて、私が座るとチラホラ寄って来るものも居た。
もちろん、ほとんど負けたことは無い。

そんな私がゲームをやらなくなったのは、、、、というよりもアートと言うゲームを始めたと言った方が正しい。
どうすればアーティストになれるのか。どうすれば百貨店で展示できるのか。どうすれば売れるのか。どうすればアートフェアに出れるのか。
目標を立てて、逆算して、自分が歩める道順を決める。
楽に歩めても、遠すぎては困る。時間が掛かるからだ。
ギリギリ歩めそうな道を見つける。そして、その為に必要な装備を揃える。それは技術だったり、話術だったり、情報収集力だったり。

始めは山のふもとから登り始めるから、選択肢も多い。
勾配も緩やかだから、ピクニック気分で、少し歩けば景色が変わって、変わる景色も楽しむ余裕がある。
だけど、一通り、最初に立てた目的地、百貨店やフェアや販売する事を経験すると、それが山の中腹にも満たない事を知る。
想像していた眺めでは無い事を知ったのだ。
それからの山登りはキツイ。勾配はキツクなるし、歩く選択肢も狭まる。
山登りなら天候に左右されるように、運というものも必要になる。
シェルパはコレクタのようなものだろうか。と言うと、シェルパが単に荷物持ちだと思ってる人間から批判されそうだが。
シェルパが犠牲になる事がある。その犠牲の上に、登頂成功があったりする。
コレクタが増えると、作品の価格にしても、作風にしても、コケる事が怖くなる。
コレクタの応援に応えたくなって、頂上しか見なくなる。周りの景色を楽しむ余裕がなくなってくるのだ。

そうは言っても、平均して年間に10作品売れるかどうかの作家が、そこまで必死になる必要は無いのかも知れないし、その程度で必死になるようではダメなのかも知れない。が、まぁ、自分は天才ではないとは思っている。
ただ、人間、楽しめないとダメになる気がしている。無理がくるのだ。
もちろん、作家としては今は面白いとか言ってられないと思っている。しかし、人間としては人生を楽しまなければならない。
その楽しみの部分をギャラリーでやってみたい。
なんの責任も感じずに、自由に。目標を定めて、後はGAMEだ。
目標をどう攻略するかを考えて、実行する。

作家と違うのは、作家はアクションRPGのようなものだが、ギャラリーはシュミレーションかRPGだろう。
パーティを組む必要がある。
だから、思いを同じくする仲間が必要なのだ。
思いが同じなら、作風は合わなくてもいいと言う意見もあるかも知れないが、ファイナルファンタジーの中にいきなりドラクエのキャラが居ても違和感があるだろう。鉄拳の中に、モータルコンバットのキャラが登場するのも困ったものだ。
洗練されれば、そういった違和感は排除される。だから今からある程度は絞るのだ。

ただ、洗練されようがされまいが、遊びの隙間が無くなったら、それ以上の成長も無い。
最近はそれも視野に入れて、多少は取り扱いの作家の幅も広げようとは思っている。

藤津 恵

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言葉を交わして、ある時、ぷっつん。

募集を開始して、3週間ほどが経つだろうか。
相変わらず、中心からは若者が多く、辺境からは中年が多い。
メンバーとして迎えるのであれば、ほんとは会った方が良いのだろうが、会っている時間も無い。更に遠方となれば。

募集要項には無いのだが、熱い思いや、自分なりの言葉を添えて送ってくる者もいて、このあたりは以前にも書いたが、世の中行儀良くばかりいては、伝わらないもので、勢いなど、熱意の伝導が必要なときもある。駆け引きというものかもしれない。

作品を一見して気に入る。あるいはドキッとさせられるようなものは未だ無い。
確かに、思い返せば、そんなに熱心なギャラリービジターでは無いが、十年くらいは中心のギャラリーをポツポツ歩いてきたが、やはりそんなに気に入るものは無い。
そもそも、私が気に入ったところで、私に審美眼があるわけではない。私が個人的に気に入るかどうかは大した問題ではない。
いつも言うが、色味とテーマと要素、あとは、同じ方向を向いているかと言う事だ。

そして、これを確認するには言葉を交わすしかない。
そもそもWordpressの勉強がてら、架空のギャラリーを設定し、詳細を考えるうちに実験的に、遊び感覚で始めてみてもいいかと思えたので、メンバーも募っているのだから、現状どれだけ最弱ギャラリーで、将来像はあるけれど、実現できるかも約束なんてできるものはない。何だかリスクだけが目立つようなギャラリーである事を理解してもらう。
それでも、一緒にこの壮大な遊びに付き合ってもいいと言う作家でなければ、一緒にやって行くのは無理だろう。

しかし、多くの応募作家は、企画ギャラリーに取り扱われる事がどういう事かを理解していないようだ。
ブランド戦略や、作品の管理もそうだが、国内のギャラリーとアーティストは“信頼関係”と言う極めてあやふやで曖昧なもので繋がっている事が多く、この言葉を、時に素直に美しいものと捉えている者もいれば、時に自分の都合の良いように解釈している者もいて、それは当たり前だろうとは思うが、これはきっとギャラリー側も同じ事なんだろう。
ギャラリーとアーティストはよくトラブルが、その多くがこの言葉の意味の解釈の違いなのではと、今は思っている。

私は全て説明するようにしている。
どうしてギャラリーを始めようと思ったのか。どうしてこのような形で始める事になったのか。
その過程で応募者が抱いた疑問質問にも、できる限り丁寧に答えるようにしている。

目の前の餌に飛びついてくるような作家は必要ない。
グーグルアナリティクスをチェックしていれば、応募してきた作家がWEBサイトのどのページを見て来たのかは、だいたい見当が付く。
中には募集要項だけを見て送ってきてるような者もいる。
どんなギャラリーかチェックしないで大丈夫なのかと、こちらが心配になる。
後々、面倒な事になっても困るので、説明するようにしている。
中には、説明をすれば、熱心に、自分の考えを語りだす者もいて、こういう作家とは、メンバーとして一緒に活動はできなかったとしても、出会えてよかったと思える。
しかし中には、ある時ぷつっと、メールが来なくなる者もいる。
質問ばかりぶつけてきて、えらくぶっきら棒な者だと、ドッと疲れるが、人間関係などと言うのは、どう始まるか、どう終るか、が、信頼関係が構築できたかどうかの結果だろうとは思う。時間の長さは、さほど、関係が無い。

私の力不足と言う事もあるだろう。
相手の指先を、メールを打つ程にも動かす事ができなかった程度の言霊しか持ち合わせてはいないのだ。
とは言え、今更、文章力やら言語力を鍛える気は無い。
共に作り上げるギャラリーとは言え、私のギャラリーだ。

藤津 恵

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逃げて、逃げはて、端っこに。

  2015/06/29  ,

Escape on the edge
BandH Galleryのテーマのようなものだ。
正確にはEscape to the edgeなのかも知れない。と、思うほどには英語が苦手だ。
しかし、思いがあれば何とかなるようで、海外フェアでも身振り手振りで対応した。まぁ、最後の最後は通訳を呼ぶのだが。
海外での展示も、全てWEBツールを駆使して、何とか展示から販売、支払まで完了している。

辺境からしか革新は来ない。
これは常に時代が証明し続けているが、BandH Galleryは、辺境なのは間違いないが、はじめから革新を狙えるほど優秀なものではない。

多くのものは、中心を目指していく。
目指す場所が大きいほど、より中心に向かっていく。
私も中心を目指してはいる。
中心を目指して、そこは、何かに例えれば山のようなもので、進めば進むほど勾配もきつくなり、歩みも遅くなり、足も重くなる。
あらゆる方向から頂上を目指して人はやって来るが、どこから来てもそうは変わらない。キツイ。
それでも登ってしまう人間は居る。こういうのを天才というのだろう。
自分が天才かどうかは、二十歳も超えれば、わかるはずだ。

しかし天才でなくとも、諦めなければ、足を止めなければ、いずれ頂上にたどり着く。絶対にたどり着く。
ただ、だいたいはその前に命が尽きる。凍死か、雪崩か、遭難か、クレパスに落ちるか、そうでなくても山で天寿を全うする事もあるだろう。
自分はどこまで行けるのだろうか。山を下りたくなる時もある。逃げたくなる時もある。
山頂を目指して、山頂からだけの景色を夢見て、登り続けるのもいいだろう。
生身の身体は一つだから、実際の山登りなら上がるか下りるかだが、人間としては、作家としては、色んな眺めを見たほうがいい。

BandH Galleryは、山を下りた作家が集うギャラリーだ。
登り続ける作家の背中を押すほどの力も、余裕も無い。
かといって、山頂を目指しもしなかった作家が来る場所でもない。
なぜなら、山頂を目指した作家は、目指さない作家よりは、眺めの良さそうな岬を知っている。眺めのいい辺境の地を知っている。
たまには中心を目指す山登りから下りて、途中で見つけた眺めの良さそうな辺境の岬を目指すのもいいかも知れない。
もしかしたら、そこは山頂に負けず劣らずのいい眺めかも知れないのだ。
山頂からの眺めを超えるものが見れたとすれば、それは革新の地だ。
もちろん、思ったほどの眺めではない事もあるだろうが、それは、山頂も同じだ。

本来人間は自由だ。
縛られる事はない。囚われる事はない。どちらも目指せばいいのだ。
多様性を持つと言う事と、一貫性が無い事を同一視しているものが多いように見えるが、多様性と一貫性は、両輪でないと進化の過程も生き残れないのは、歴史が証明している。

逃げて、逃げはて、辺境の地の、革新の地の端っこに立つ。
だから、Escape ON the edge にしたのだ。

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中心の若者からの応募に、びびる

ここに来て国内の応募が増えてきた。
とは言え、面白いと思えるものばかりではない。メンバーを十分に集めるには、多少時間が掛かるのかもしれない。
まぁ、私が面白いと思ったところで売れるかどうかはわからないのだから、面白いかどうかはあまり関係がない。
大事なのは同じ方向を向けるか。そして、ギャラリーの色味くらいは合っている必要がある。

そんな中、「中心の若者は飢えていない。」のエントリーを見てか見ずか、中心の若者から応募があった。
その途端、多少責任感のようなものが湧いたが、わたしのギャラリーのデメリットもメリットも伝えてある。
あとは本人の意思次第で、決めたからには自分の責任と言う事だ。責任を取れるほどのギャラリーではない。
作品は世代観が出ていて面白かった。

ギャラリーは、ちゃんと運営しようとすればするほど、管理の問題が出てくる。
作品はちゃんとトレースできるように、あまり変な、転売屋のようなお客には売らないようにする。
セカンダリー価格が安定しないうちは、オークションに流れる作品にも注意を払う。
所有者が亡くなったりなどで、作品が不要になった場合には、作品の紛失や、オークションへの無駄な流出を防ぐため買い戻す。
これらの理由から、ちゃんとしたギャラリー程、販売実績の無い若い作家を扱いたがるし、あらゆる場所でそれなりの場所でそれなりの数を売っている作家は、後々の事を考えると扱う事を躊躇するようだ。

彼は若く、中心にいるので、チャンスはまだあるかもしれない。
わたしのギャラリーで扱われた事が、いずれ不利益を生むかもしれない。それを踏まえて、考えてもらっている。
どうやら、前向きに考えているようだが。

それ以外は、やはり地方から、40を過ぎた世代からの応募が多い。
彼らにとっては背水の陣だろう。チャンスも少ない。精一杯制作と活動をする時間もタイムリミットが迫っている。
いい作家がいれば、もちろん扱いたいと思うが、世代の問題か、この世代はステートメントが掛けない。
再送を依頼すると「言葉で言えていたら、作品は造っていない」と、お叱りを受ける事もあり、どこかで聞いた言葉だなと、懐かしくなる。
どこで聞いた言葉かは、言わずもがな。

結局のところ、作品などは見てもわからない。わたしが作品で判断するのは直感と色味とステートメントだ。
再送願いを出すと、苦労して自分の言葉で伝えようとしてくるものもいる。とても好感が持てる。
言葉と言うのは、綺麗に書くでも、難しい言葉を駆使するでもない。相手に届き、相手の何かを動かすためのものである。
わたしのBlogやメールも、無駄に長く、構成も読みにくいので申し訳ないが、呼んだ人、メールの受取人に、何か変化が起きて、行動に移せればいいなという思いでは、書いている。

応募の際も、要項には無い無駄な事を書いてくるものの方が心を動かされる事が多い。
一見無駄に思えるものの中に、実は大切なものがあると言うのは、人生を終えようとしている人が、自分の人生を振り返った時に脳裏に写るシーンを聞くと、やはりそうなのかもしれない。

作品も、綺麗である必要はない。うまい必要も無いのかもしれない。無駄な要素があってもいいだろう。
問題は見る人を動かせるかどうかだ。
いや、そう言ってしまうと矛盾を抱える事になる。
やはり作品は良くわからない。ある一つの作品を目にして、観たもののコンセンサスを得るような感想が出るほどには、アートと言うのは共通言語にはなっていないと言うのが、わたしの意見だ。

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中心の若者は飢えていない。

  2015/06/22  ,

作家募集の案内をホルベインアーティストナビに掲載して10日ほど経った。
Googleアナリティクスの結果も、統計情報(Jetpack)も、サーバ側のアクセスログも、全て結果が一致しないので何ともだが、アナリティクスの結果を見ると、アクセスの多くは都内からだ。
だけれど、都内からの応募はほとんどない。
中心に近いほど、チャンスにも恵まれているという事なのか、中心に近いほど、ベンチャー魂が無くて保守的になっているのかは判らない。
確かに、私も若いときを思い出せば、何だか得体の知れない新規のギャラリーにヘタに取り扱われない方が良いなどと思っていたので、気持ちはわからないではない。

自分が天才かどうかは、二十歳も過ぎれば薄々気が付いているはずだ。
まぁ、自分は天才だと思い込んでいるものが、ここには多い気もするが、私などは、天才ではないとわかっている。
だったら、万歳がいい。天才でなくともいい、小さな勝負でもいいので、勝ち星を増やして万歳をしたい。楽しく万歳をしたい。楽しくなければ、意味は無い。と言うか、苦しんでやるものでもない。

今のところ、日本からの問い合わせの多くが地方からで、それも末端からが多い。しかも若いのは少ない。
辺境からしか革新は現れないのは時代が証明している事を考えれば、多少は勇気が湧く。
とは言え、地元の作家が居ないと言うのは少し寂しい気もする。
まぁ、寂しさの尺度で動いては、ろくな事にもならないだろうから、居ないのであれば居なくても構わない。
とにかく、目標を立てて、タスクに落とし込んで、あとは演算能力だけを使って処理をする。
なるべく余計なストレスは排除したいと考えている。

作家の応募をしてくる前に、質問がいくつか来た。
素材についてや、ローブローアート・ダークアートの表現についてで、自分がそれに当てはまるのかどうか・・・と言う事だが、素材は何も書いていないのだから、何でも良いのだ。表現も、全然違ってても別に構わない。自分がそうだと思うなら応募してくれば良い。
頭を使って、情熱を使って、屁理屈を使って、何でも良い、捻じ込んでくるくらいの勢いがあれば、こちらの気持ちが動くという事もある。

まぁ、ビビッているのか、相手にされていないだけなのかはわからないが、立ち上がってしまえば、取り扱いのハードルは上がるはずだ。

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携帯メールはご注意ください

ここ数日、日本国内外から取り扱いに関する応募や問い合わせのメールが入っている。
日本人は、ガラケーの頃から携帯でのネット利用者が多かったが、国内から来るメールの半分程は携帯メールだ。

さらにその半数は、恐らく初期設定がそうなのだろう。
PCメールの受け取りを拒否しているか、アドレス帳に登録の無いメールアドレスを拒否しているかのようで、こちらからの返信が全てエラーで返って来る。

私のプライベートの携帯で返信すればできるのかもしれないが・・・・
応募で作品が面白ければそれも考えるが、問い合わせの返信でそこまではしたくない。
何事もそうだが、適材適所でツールを使いこなさなければ、チャンスを逃す事もある。

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外国そこそこ、日本少々

  2015/06/15  ,

公募サイトに案内を載せて数日。
日本語の公募サイトで、日本語表記なのに、外国からの応募がそこそこ来ている。
アメリカやら、ハンガリーや、ドイツ、あと・・・・インド。
公募サイトから来たというよりは、検索で来たのかも知れないが、Google検索で来た場合には、検索キーワードがアクセス解析にも残らないので、どうやって来たのか良くわからない。
しかし、検索キーワードが残らないのは、プライバシーに配慮しての事のようだが、ここまで個人の細かい事柄が優先されるというのも、息苦しい。

さて、日本からの応募はというと、少ない。
両手には足らない程度だ。
なかなか良い作品で、自信満々で、尖がっている若者を見ていると、興味はあるし、どうにか化けるかも知れないとも思うのだが、付き合っていくのが大変そうだ。私は既に取り扱いギャラリーがある。BandH Galleryは実験的な遊びのようなものだ。変なストレスは抱えたくないし、スターを輩出する事を目標にしている訳ではない。インディージョーンズというよりはグーニーズでありたい。まぁハリーポッターというよりはウィローでもいい。

困ったのは尖った若者を除くと、作風がえらく古くなっていく。
ローブローやダークアートではなくなっていく。
しかし、中にはローブローやダークアートで取り上げそうなモチーフを古臭く描いてるものもあって、どうしてもビジュアルが古めかしいのでパッと見の新鮮さは無いのだが、よくよく見るとジワジワくるものもあって、どうしたものか悩んでいる。

更に困ったのは外国からのメールだ。
まず、訳す。機械翻訳に通すが、ステートメントなどはゴリゴリの英語だから、変な訳になって出てくる。
何とか紐解いたところで、返信も楽ではない。滞っている。
作品としては、作家としては、外国のものも入れると面白いとは思うが、これはコミュニケーションでえらくストレスが掛かりそうだ。
これまたどうしたものか悩むところだ。

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募集活動

  2015/06/12  ,

ホームページを立ち上げて概ね1ヶ月。
日本よりも外国からのアクセスが伸びている。
それもそうか。ナビやページタイトルなどは英語だ。
これは、もし立ち上がった場合には、日本国内に情報を向けるよりも、外に向けた方が良いと思ったからなのだけど、困った事に取り扱い希望の問い合わせも外国からが増えてしまった。

もちろん、外国の作家も入れても良いのだが、共同体としては、日本国内の日本人作家を固めたい。
そこで、コンペや公募情報のサイトに作家募集を掲載してみた。初めての事で、細かいところが抜け落ちているが、まぁ、それでも問い合わせして来る人の方が、縁があるのかもしれないと思っている。

しかし、外国の作家たちは積極的だ。
作品は技術的には日本人の方が巧いものが多いように見えるが、それでも積極的に売り込んでくる。
私も、英語が堪能ではないので、微妙な英文でのやり取りになるが、顔も合わせたことが無いく、ギャラリーがどんな場所でどんな空間かも見ていない。更には、今後どのようにギャラリーが動くかも私自身、皆目検討が付いていない状態にもかかわらず、とにかく必死である。

日本でもそうだけれど、外国はなお更のこと、どこかのギャラリーに取り扱われない事にはプロと呼ばれるスタートラインにも立てない。日本は貸し画廊が多いので、貸し画廊で個展、貸し画廊の企画で個展などと、個展を重ね、たまに企画のグループショーに呼んでもらったりしつつ、表面的にはプロと同じような立ち居地の作家もたまに見かける。

最近は特定のギャラリーとだけ付き合う、というかたちを取らない作家もいるほどだ。
どうやら海外は違うのだろう。
飢えているのか、小さなチャンスも貪欲に掴みに行っているのかはわからない。

彼らは作品の送料というハンデがある。
いずれ、まとまったグループショーなどできる時には声をかけるようにする。
まずは気軽に始めたい。