BandH Gallery

Escape on the Edge

誰か原敬になってよ。

ひどい夏風邪を引いた。
肺炎を起こして緊急入院。30を越えた辺りから、今までになった事が無い病に掛かるようになった。それは、30代で無理をしたものが返ってきているという事かも知れない。まぁ、無理をした程の結果を得たれたのかはわからないが、無理をしないで歩めるほど、天才でもない。

戦後70年を病院のベットで迎えた。
世の中は常に、革新→パイオニア先導の社会、業界発展→革新だったのもが権威となって→権威でのみで体を成して→腐っていく。そして次の革新へ。
日本も今のような政党政治になる前は総理大臣は衆議院議員でなくてもなれたし、与党党首でなくても良かったわけだ。ようは藩閥によるコネで国は動いていたといって良い。
国際社会をいち早く意識し、当たり前の政治を行うために、原敬が政党政治への第一歩を踏み出した。
原はご存知だとは思うが、盛岡藩士の上級武士の出身であるが、後にそれを離れ、後に平民宰相となった人物である。
まぁ、戸主となったのは、身分を敢えて捨てたかったわけではないようで、腐っても鯛と言えば、そういう事で登り詰めたのかも知れないが・・・。
もちろん、時代が変わる時には混乱や痛みを伴うもので、この時は官僚機構の中で成績こそが評価基準となった事で、それはそれでそれなりに問題があったようだが、これから逃げていては腐っていく一方である。

美術ではどうか。
ちょうど、画壇と言うのが権威化しつつある時に学生だったレオナール・フジタが、この時代の日本美術の革新だったと言っていいだろう。
国レベルでも、業界レベルでも、企業レベルでも、だいたい革新から衰退の構図は似ているようだ。
どうしてもレオナール・フジタの話をする時に、その肌の表現方法に話が行きがちだが、表現はもちろん下手ではダメだし、それはそれで革新的な表現が必要ではあるのだが、フジタはドメスティックな場所に固執せずに、本場で勝負を掛けたところが評価されるべきである。
フジタの作品は本場で評価されたので、今でも価値を保ち続けて取引されているが、それは今も日本で多く目にする逆輸入としての価値を感じているように見えてなら無い。日本人の多くは、田中一村のようなスタイルの方が共感を抱くのではないか。
まぁ、それも、日本の歴史を見るとわからないではない。
出れば打たれ、巻かれれば面倒な人間関係とコネの世界だ。
周知の通り、原敬は暗殺され、帰国した藤田は日本に居場所が無く、結局フジタとしてフランス人としてフランスで死んでいる。

世界を見渡すと、フランスの市民革命によってアートというものも市民の手に渡ったのだろう。
しかし、宮廷画家が必要なくなったために、画家が仕事を失ってしまう。この時期が新たな革新の転換期の混乱だっただろう。
わたしの解釈だとこの混乱期は長くて、ソロモン・R・グッゲンハイムが現代美術をコレクションし、後にそれを財団所有としてソロモン・R・グッゲンハイム美術館が表れるまで、存命作家の苦境は続いたんじゃないだろうか。

しかし、その後の現代美術の発展も、今となっては権威化しつつあるように見える。
ようするに新規参入しにくいのである。ファッションもそうだが、アートも流行を作っているのは数人に過ぎず、そことのコネクションを作る方が、作品を造るよりも大事・・・と言っては過言だろうか。

そんな中、ローブローアートはフランス革命以降の革新かもしれない。
ローブローアートのギャラリーは作家にとって敷居も低いところも多く、また、ギャラリー同士の繋がりもフレキシブルなように見える。
トップスターはハイアートのトップスターと肩を並べるような価格で取引される事もあるが、ハイアートよりも作家として新規参入しやすいイメージがある。

敗戦国の日本は、世界の文化を牽引していく事はできないだろう。
最近は様子が変わっているようにも見えるが、世界の文化、科学技術、軍事を牽引していくのは戦勝国が常だ。
そう考えると世界のアートを日本が牽引する事も難しい。
世界のアートの中心は戦後、せいぜい2箇所、イギリスとアメリカで行ったりきたりだ。
これは敗戦国である日本で日本人としてアートを行う以上はこれからも当分変わらないだろうと認識した方が良さそうだと、わたしは思っている。

であれば、イギリスかアメリカ・・・・世界で戦う以外に道は無いのだが、これが、非常に、難儀だ。
夏風邪と入院でスッカリ色々と自信を失いかけて、しばらくは他力本願。

誰か、原敬になってよ。

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